日本のファーストフードの一つであるラーメン。
しかし、もともとは中華料理の一つです。
今では、国際的に見ても中華ではなく日本食と捉えられることも多くなってきました。
日本独自の進化を遂げてきた結果と言えます。
今や日本食の一つとなったラーメンの歴史を紐解いていきたいと思います。
室町時代には既に食べられていた!
日本で初めてラーメンを食べたのは、水戸黄門様でお馴染みの徳川光圀(水戸光圀)と長年考えられてきました。
記録によると1697年(江戸時代)、徳川光圀を接待する際に、儒学者朱舜水が自国の汁麺としてラーメンを振る舞ったとされています。
しかし・・・
徳川光圀が食べるよりも、遥か昔にラーメンが日本で食べられたという記録が、2017年になってから発見されました。
それは今から、500年以上も昔の1488年(室町時代)です。
記録によると、中国の家庭百科事典「居家必要事類」に書かれたレシピを参考に、「経帯麺」と呼ばれる料理を客人に振る舞ったとされています。
この経帯麺のレシピが、現在のラーメンの麺のレシピとほぼ同じということが判明しました。
このことから、ラーメンを最初に食べたのは室町時代だったと考えられるようになりました。
1488年: 日本初の中華麺「経帯麺」が食べられた。この麺にはかん水が使われており、このレシピは現代のラーメンの麺とほぼ同じであった。
引用:ラーメン博物館より
ラーメン普及の歴史
伝来は上記の通り、室町時代から江戸時代です。
その後の普及の様子を振り返っていきましょう。
ラーメン普及の始まり
一般庶民がラーメンを食べるようになるのは、さらに時代が進んだ明治時代に入ってからです。
きっかけは、神戸や横浜の中華街で、中国人料理人が販売を始めたことでした。
しかし当時はラーメンではなく「南京そば」という名称です。
その後、中華街からコックをスカウトし、東京浅草に日本初のラーメン店「来々軒」がオープンします。
来々軒での呼び名は「支那そば」でした。
支那そばというと、現代では佐野実さんが有名ですよね。
昔ながらの作り方で旨さを追求していったのが、佐野実さんの支那そばやなのです。
ラーメンを全国区にしたきっかけとは
中華街から始まったラーメンは東京に伝わり、その後、全国へと広がっていきます。
全国区になったきっかけは、1923年の「関東大震災」です。
関東大震災により、多くの建物が倒壊してしまいました。
そのため、通常の店舗形態とは異なる、屋台形式のお店が増えました。
結果、移動販売が可能なラーメン屋台が関東から全国へと広まるようになります。
戦後の食糧難とラーメン
全国に広まったラーメンの人気をさらに加速させ、一般的に定着させたのが・・・
戦後の食糧難でした。
戦後、中国から引き揚げてきた多くの人たちは、中国でラーメンのレシピを覚えて帰ってきたのです。
また戦後は、物資が少なく食糧難の時代でした。
その中でも、安価な材料で栄養豊富なラーメンを作ることができたというのも大きな理由です。
全国各地で闇市が誕生し、ラーメンが人気商品となりました。
戦後の日本の食事情を支えた立役者はラーメンだったということです。
ラーメンを一般的にした不朽の名作
このようにして、全国に定着したラーメン。
ですが、全国区になった当初から戦後間もない頃までは、「中華そば」と呼ばれていました。
ラーメンという呼び方が一般的になったきっかけは、何を隠そうチキンラーメンの存在です。
1958年に初のインスタントラーメンとして誕生し、爆発的に普及したからですね。
ご当地ラーメンの登場
全国的に広がり、日本に定着したラーメン。
全国各地で地名を冠した「ご当地ラーメン」が乱立し始めます。
しかしこれは、地域でまとまって行ったものではありません。
多くのお店が、勝手に地名を冠したラーメンの販売を始めたのです。
- 博多ラーメン
- 熊本ラーメン
- 東京ラーメン
- 札幌ラーメン
- etc
このようにたくさんの地域でご当地ラーメンが登場していますが、同じ地域であっても全然違う特徴のものもあるのは、それが理由です。
ラーメン戦国時代へ突入
さらに近代では、地域だけではなく、様々な系統のラーメンが乱立する、まさにラーメン戦国時代へと突入していきました。
インスタント麺戦国時代
チキンラーメンの発売以降、1960年代には各社もインスタント麺の販売を開始します。
有名どころでいうと、エースコックのワンタンメンは1963年、サンヨー食品のサッポロ一番と明星のチャルメラは1966年に発売を開始しました。
今でもメジャーなメーカー、メジャーな商品ばかりですよね!
そしてインスタント麺業界に、激震を与えたのが1971年「日清カップヌードル」の発売です。
カップヌードルは『20世紀における日本人がした最も偉大な発明』とまで言われるほどの功績です。
近代における多種多様なラーメン系統の乱立
2000年前後あたりから、店舗独自のアレンジを加えたラーメン店が爆発的に増加します。
とりわけ人気の高いお店は暖簾分けをしたり、もしくは他店が人気店をインスパイアしたりして、続々と新店が増えていきました。
これらは「○○系」とラーメンファンの間で分類され、人気店がしのぎを削っています。
まさに今、ラーメン戦国時代の真っただ中というわけですね。
中国の拉麺と日本のラーメンの違い
日本のラーメンの起源は中華料理です。
そして日本に伝わった中華麺の歴史は古く、紀元前にも遡ります。
しかし、中国の拉麺(ラーメン)と日本のラーメンは根本的に違うということを説明しておきます。
中国における拉麺とは料理名というよりは、「麺の種類」を表現した名称です。
日本における「そば、うどん、そうめん」といったところなのです。
そして拉麺の本来の意味は「引っ張ってつくった麺」です。
日本のラーメンのように、生地を薄く延ばし、包丁で切った「切麺」ではなく、記事を伸ばして伸ばして伸ばして、細く長くしたものが、中国における拉麺です。
日本でいうなら、手延べそうめんや手延べうどんと似た作り方なんですね。
日本では「ラーメン」と呼んでいますが、中国の拉麺がそのまま日本に伝わったわけではないのです。
中華料理の汁麺が日本に伝わり、さまざまな発展を遂げて、日本におけるラーメンと呼ばれるようになったということですね。
まとめ
日本で人気のラーメンは、もともとは中華料理でした。
中華料理であるラーメンを一般人が食べ始めたのは中華街で、その後、関東大震災や戦後をきっかけにラーメンは全国に広まることとなりました。
現在では、さまざまなアレンジが加えられ、ラーメンは中華料理から、新たな日本食の一つと呼べるまで進化したといっても過言ではありません。