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日清食品HD社長安藤宏基まとめ|伝説の数々と家族構成&年収がヤバイ!家系図あり

安藤宏基 家系図

日清カップヌードルの生みの親といえば、安藤百福(ももふく)さんが有名ですね。

ですが、日清食品ホールディングスの社長をされている安藤宏基さんについて詳しくご存じですか?

ま過去にはあの有名な商品を手掛けたことのある、とてもすごい人なんですよ!

調べてみると、これまでの伝説とも言えるエピソードの数々がたくさん出てきました。

そして家族の情報から年収まで・・・

それでは詳しく紹介していきます!

 

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安藤宏基のプロフィール

まずは安藤宏基さんのプロフィールを見てみましょう。

  • 名前:安藤宏基(あんどうこうき)
  • 生年月日:1947年10月7日
  • 年齢:71歳(2019年6月現在)
  • 出身:大阪府池田市
  • 学歴:慶應義塾大学商学部卒業
  • 留学:コロンビア大学マーケティング専攻。1年で中退
  • 現職:日清食品ホールディングス株式会社代表取締役社長(CEO)
  • 著書:「カップヌードルをぶっつぶせ!」
    「勝つまでやめない!勝利の方程式」
    「日本企業ーCEOの覚悟」

※すごいネーミングですよねw

安藤宏基さんは、日清食品ホールディングス株式会社の代表取締役社長です。

今は大企業の社長ですが、それまでの間に波乱万丈な人生を歩んでこられたようです。

 

安藤宏基の伝説の数々

調べてみると、波乱万丈な人生の中に、たくさんの伝説を残されています。

あの有名な商品も、安藤宏基さんがいなければヒットしていなかったのかもしれませんよ。

大学生時代に「出前一丁」をネーミング

「出前一丁」というインスタントラーメンは今でも人気の商品です。

もともとは「出前ラーメン」という商品名で発売する予定でした。

ですが、インパクトがないということで、当時大学1年生の宏基さんに考えるよう依頼があったのです。

なかなかいい案が思い浮かばず、父である安藤百福さんとのゴルフの最中に、車の中に1時間半も閉じ込められて考えさせられました。

そこでヤケクソになって提案したのが「出前一丁」でした。

 

そして百福さんにデザインを描いてみろと言われて、近くにあった紙に自転車に乗っておかもちをぶら下げた男の子の絵を描いて渡したそうです。

すると翌日には、即席で描いた絵がプロの手によってキャラクター化され、正式採用することになりました。

あの愛らしいキャラクターは宏基さんの考案だったのですね。

ちなみに、まだ日清の社員ではなかったため、デザイン料などの報酬はなかったそうですよ。

アメリカへ留学するも…わずか1年で中退

宏基さんは慶応大学卒業後、アメリカのコロンビア大学にマーケティングを学ぶために留学していました。

しかし、わずか1年で中退することになります。

百福さんにニューヨークでの生活を根掘り葉掘り聞かれたときに、エレベーター内でナイフを突きつけられ、お金を取られたという話をしてしまったそうです。

すると激怒して「今すぐ出ろ、ロサンゼルス工場へ行け」と命じられてしまいました。

そもそも百福さんがマーケティングを学問として学ぶことに反対していたという経緯もあり、コロンビア大学を辞めざるを得ない状況になってしまったのです。

このことがきっかけとなり、宏基さんは1972年にアメリカの現地法人ニッシン・フーズの取締役に就任し、副社長になりました。

 

当然ですが、いきなり順調な経営にはなりませんでした。

大量の在庫を抱えてしまったことから、一時は従業員を解雇して工場を閉鎖する事態にもなり、苦労をされたそうです。

日清食品へ入社し、マーケティング部長へ

1973年に日清食品へ正式に入社します。

1974年に取締役に就任し、1976年にはマーケティング部を設立して初代部長となりました。

マーケティング部長時代には、今でも人気の「日清焼そばUFO」や「どん兵衛」などのヒット商品の開発を手がけています。

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カップヌードルだけではなく、その他の商品もこうして食べることができるのは、宏基さんの貢献があったからと言ってもいいでしょう。

日清食品の社長になり、「カップヌードルをぶっ潰せ」発言

1985年に百福さんが2度目の社長職を退き、会長となります。

その時、37歳の宏基さんが社長に就任します。

 

宏基さんは、カップヌードルやチキンラーメンの利益を優先するあまり、新製品が開発されていないことに気が付きました。

「打倒カップヌードル」をスローガンに社内活性化に取り組み、数多くの大胆な社内改革を実行していきます。

ところが、社内でスローガンを発表する際に間違えて「カップヌードルをぶっ潰せ!」と大失言してしまったそうです。

それを聞いた百福さんは激怒して、弁明に数か月も要したというエピソードも残されています。

 

会長になった百福さんから、経営のことでいろいろと苦言されることが多かったようです。

親子でありながら、方針の違いで対立することも多くありました。

百福さんが一代で成功してきたプライドもあるでしょうし、会社や息子たちのことが心配だったというのもあるかもしれませんね。

親子でもあり、ライバル関係でもあったと言えるでしょう。

大塚家具のように大問題にならなくて良かったですよね。

社長でありながら数々の役員を歴任

宏基さんの活躍は日清食品の社内だけには留まりません。

社長をしながら、数々の役員を歴任されています。

  • 2006年:慶應義塾評議員
  • 2007年:公益財団法人 安藤スポーツ・食文化振興財団理事長
  • 2007年:世界ラーメン協会 (WINA) 会長
  • 2010年:特定非営利活動法人国際連合世界食糧計画WFP協会会長
  • 2011年:公益財団法人 日本陸上競技連盟評議員
  • 2012年:一般社団法人 日本経済団体連合会常任幹事

名称だけ見てもどんなことをしているのかわかりませんが・・・

とにかくすごそうです。

公式ホームページによると、すべてが現任されている役職のようです。

日清の社内以外でも、これだけの顔を持って活躍されているということですね。

(肩書ばかりで役員報酬がすごいのかも・・・?)

 

ここで紹介したエピソードはほんの一部です。

安藤宏基さんや百福さんのことをもっと知りたいという人は、著書もありますので読んでみてくださいね。

知られざるエピソードの数々に、もっとインスタントラーメンが好きになってしまいますよ!

 

安藤宏基の年収は?

2018年の情報だと、推定年収は3億6200万円と言われています。

2011年時点だと2億5000万円の年収だったようですので、10年も経たない間に1億円も増えたということでしょうか?!

ちなみに2017年は3億5,200万円という情報がありますので、近年は3億円以上の年収でキープしているようですよ。

日本だけではなく、世界各国で愛されている商品が多いですので、このくらいの年収になっても不思議ではありません。

日清食品ホールディングスが会社として成長し続けているということがわかりますね。

 

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安藤宏基の家系図はどうなっている?

安藤宏基 家系図

安藤宏基さんの父親といえば、日清食品創業者の安藤百福さんであるのは有名な話ではないでしょうか。

調べてみると、きょうだいや妻、子供の情報も出てきました。

詳しく見てみましょう。

安藤宏基の両親

父はご存じの通り、日清食品グループ創業者であり、初代社長の安藤百福(ももふく)さんです。

インスタントラーメンの先駆けとなるチキンラーメンや、カップヌードルの開発をされました。

出身は台湾ですが、後に日本国籍を取得されています。

安藤百福さんがいなければ、私たちがこんなに手軽にインスタントラーメンを食べることができなかったかもしれませんね。

2007年、96歳の時にお亡くなりになりました。

 

安藤宏基さんの母、つまり百福さんの妻だったのが、安藤仁子(まさこ)さんです。

実は百福さんにとって、仁子さんは3人目の妻です。

当時、台湾では夫妾婚姻という制度が残っており、正妻と妾と結婚することが習慣でした。

百福さんは台湾にいた頃、すでに2人の女性と結婚していたのです。

さ、さすがお金持ち・・・!

 

台湾にいる正妻との間に長男の宏寿(ひろとし)さんが生まれましたが、2人を残して来日されました。

しばらくして日本で仁子さんと出会い、結婚することとなります。

そのタイミングで台湾にいた宏寿さんを引き取り、長男として育てました。

そして後に宏基さんが生まれます。

ということで、百福さんと仁子さんとの間の子供は1人目ですが、異母兄がいるため次男ということになりました。

 

仁子さんは結婚をする時、母である須磨さんを置いていくわけにはいかず、一緒に引き取りました。

ですので新婚当初から、いきなり4人家族だったんですよ。

昔はよくある話だったのかもしれませんが、今ではちょっと暮らしにくそうですよね。

安藤宏基のきょうだい

安藤宏基さんのきょうだいは兄と姉の2人です。

百福さんには台湾時代の妻との間に子供が4人いたそうですが、ここでは割愛します。

兄は安藤宏寿

長男は異母兄の宏寿さんです。

1931年の台湾生まれで、母は呉黄梅さんです。

日本へ来てからは、仁子さんから我が子と同じように育てられました。

宏寿さんは日清食品へ入社し、1958年には日清食品代表取締役専務に就任します。

1976年に副社長を経て、1981年に百福さんが会長職に退いたため、宏寿さんが社長になりました。

 

ところが、あまりインスタントラーメン事業に熱心ではなく、百福さんと対立することが多くなりました。

経営方針の違いから1983年に社長を解任されてしまいます。

社長だったのは、たった2年間でした。

その後、百福さん自ら社長に復帰され、次男の宏基さんが副社長になりました。

 

宏寿さんは現在、すでにお亡くなりになっています。

2007年、76歳のときでした。

百福さんが亡くなった年と同年だったようです。

ちなみに妻は妙子さんという方です。

姉は安藤明美(現在、堀之内明美)

宏基さんには姉の明美さんもいます。

1949年の大阪府生まれで、母は仁子さんです。

甲南女子大学を卒業し、堀之内徹さんとお見合いで結婚します。

堀之内徹さんは、センサーやスイッチを製造する株式会社日本アレフで、代表取締役常務取締役を歴任されています。

1990年に日清食品の監査役として就任し、2015年まで勤めていたようです。

 

実は宏基さんの妻との出会いを繋いだのが、こちらの明美さんなんですよ。

 

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安藤宏基の妻

宏基さんの妻は荒牧淑子さんです。

出会いは神戸女学院の文化祭でした。

神戸女学院の学長に「結婚相手に相応しい良い学生がいる」と招かれて、宏基さんは両親とともに文化祭に訪れます。

しかし、その女学生は現れず、会うことができませんでした。

 

百福さんが怒り、帰ろうとしたため、校門に向かいます。

すると宏基さんは、向こうから宇治金時を食べながら歩いてくる女学生が気になったそうです。

それが淑子さんでした。

 

話を聞いてみると淑子さんと、一緒に来ていた友達が偶然にも姉の明美さんと同級生だったのです!

たまたま神戸女学院の文化祭で出会い、偶然に居合わせた友達が姉と同じ甲南女子大学に通う同級生ということで意気投合し、お付き合いに発展しました。

 

そして宏基さんと淑子さんは1976年に結婚します。

1976年といえば、マーケティング部を設立して初代部長になった年。

しかも「焼きそばUFO」や「日清どん兵衛」の発売を間近に控えていました。

ですので、せっかく新婚旅行で訪れたヨーロッパ旅行も仕事のことで頭がいっぱいで楽しめなかったようです。

さらには2週間の旅行のはずが、トラブル対応のために百福さんに呼び戻されて、10日で帰国することになってしまいました。

新婚当初は仕事で忙しかったことがうかがえますね。

安藤宏基の子供

安藤宏基さんには2人の息子がいます。

長男は安藤徳隆

長男は安藤徳隆(のりたか)さんです。

1977年生まれの42歳です(2019年6月現在)。

幼稚舎からずっと慶応ボーイです。

学生時代にはラクロスに没頭し、19歳以下の日本代表にも選出されました。

 

慶応義塾大学大学院理工学研究科修了した後は、百福さんのかばん持ちになり、2007年に入社しました。

そこからとんとん拍子で役員を歴任し、2015年に日清食品の6代目代表取締役社長に就任します。

なんと入社してからたった8年で社長の座に就いているのです。

エリートのスピード出世とはこういうことを言うのでしょうか・・・

(家族経営のボ○ボ○と言えなくも・・・)

現在は、日清食品ホールディングス代表取締役副社長という肩書も持っています。

 

徳隆さんが結婚したのは2004年の時で27歳でした。

妻はコクヨ株式会社社長の長女で黒田絢子さんという方です。

同姓同名のタレントさんがいらっしゃいますが、まったくの別人です。

 

しかし、日清とコクヨ・・・

大企業同士が繋がりを持っていたんですね~。

まさに上流階級といった印象ですね。

次男は安藤清隆

次男は安藤清隆さんです。

現在は日清食品ホールディングス常務執行役員として活躍されています。

 

2009年に香港の日清食品の社長に就任し、中国全体の統括を任されていたようです。

台湾にいるときに、現地の女性と出会い結婚しているという情報もありますが定かではありません。

長男の徳隆さんと比べて、経歴や家族情報などはあまり公開されていませんでした。

 

朝ドラ「まんぷく」で安藤宏基さんがモデルに

「まんぷく」は2018年度後期のNHK連続テレビ小説で放送していました。

主人公の立花萬平のモデルになっているのが安藤百福さんです。

萬平を陰ながら支える妻、福子は安藤仁子さんがモデルです。

 

萬平と福子の間には2人の子供がいましたが、その長男の立花源のモデルとなっているのが安藤宏基さんです。

ドラマでは、父の背中を追いかけて会社に入社し、試行錯誤しながら商品開発する姿が描かれています。

メインは百福さんのストーリーなので、宏基さんのエピソードはそこまで多くありませんでした。

しかし、親子で同じ会社にいながらも決して甘やかすことなく、他の社員と同じように厳しく接していたのは、実話とも一致する部分なのかもしれませんね。

「まんぷく」のオープニングのテロップに宏基さんの名前が出ていたんですね。

毎日、楽しみに見ていたのに気づきませんでした・・・

知る人ぞ知る情報ですね。

 

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まとめ

安藤宏基さんのプロフィールから家族情報までお伝えしてきました。

こんなに便利にインスタントラーメンやカップ麺を数多く食べられるようになったのは、宏基さんの活躍があってこそです。

これからも、たくさんの新しい商品で楽しませてくれることに期待が膨らみますね。



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