ざるそばともりそば。
そして、せいろそば。
子供の頃はよく混同してしまっていたものです。
それぞれ、一体どこがどう違うのか、まとめていきたいと思います。
もりそば/ざるそば/せいろそばの違い
違いをまとめると以下の通りとなります。
ポイント
- もりそば:皿に盛られたつけ蕎麦
- ざるそば:ザルに盛る/海苔/麺つゆは甘め/少し高めの値段設定
- せいろそば:せいろに盛られたもりそば
現代では、それぞれの違いは、海苔が乗るか否かと単純に器の違いだけです。
ざるそばと言いながらも、せいろ風の器で出てくるお店も多くあります。
麺の種類やつゆを同じにしてしまっているお店も多くあります。
鴨せいろという名前でも、普通の器でくる場合もありますからね。
それぞれの誕生の経緯
現代では器や海苔が乗るか否かくらいしか変わらない、各種そば。
しかし、誕生の背景を見ていくと、その由来の違いが良く分かるでしょう。
時系列に沿ってみていきます。
ぶっかけそばの誕生
日本の蕎麦の歴史は、さかのぼると奈良時代には誕生していたとされています。
ですが、現在の蕎麦と近い形に落ち着いたのは、江戸時代から。
当時、流行したそば切りです。
そば切りとは、麺状の蕎麦をつゆにつけて食べる、つけそば形式の料理でした。
しかし、「いちいち汁につけるのは面倒」ということから、つけ汁を蕎麦にぶっかけた「ぶっかけ蕎麦」が登場します。
もりそばの由来
ぶっかけ蕎麦が誕生すると、そば切りの呼び方がややこしいものになってしまいました。
ぶっかけてあるものなのか、従来通りのつけめんタイプのものなのか問題ですね。
そば切りは「蕎麦の実で作った生地を切ったもの」です。
蕎麦の誕生は、麺ではなく「そばがき」と呼ばれる餅状のものが食べられていたのです。
それに対して、切って麺状にしたものが、そば切りです。
そのため、ぶっかけ蕎麦誕生後、そば切りの名称がややこしくなってしまいました。
麺つゆをぶっかけたものなのか、麺つゆにつけるものなのかが分からなくなってしまいます。
そこで生まれた名前が「もりそば」です。
器に蕎麦麺が盛られていて、それを麺つゆにつけて食べる。
従来のそば切りが、もりそばとして呼ばれるようになったきっかけです。
ざるそばはもりそばの派生?
後に、もりそばへアレンジを加えるお店が登場します。
「もりそばを竹ザルに盛り付けたら、涼しげでかっこいい!」ということから、器をザルに変えた蕎麦が誕生します。
これが「ざるそば」です。
ただし、単純に器を変えるだけでは面白みがないので、麺つゆの味を甘みを強くしたり、麺を上等なものにするなどの工夫が加えられました。
海苔を乗せるようになったのも、この時からです。
せいろそばの誕生
このせいろそばの発祥には諸説あります。
ですが、いずれの説も蕎麦屋の工夫から生まれたというものです。
1.調理法から説
蕎麦は茹でると切れやすいため、蒸して作るという手法がとられていました。
この時に蒸籠(せいろう)に入れて蒸していたため、その蒸籠のまま出すから「せいろそば」と呼んだという説です。
2.『運搬上から』説
二つ目の説は、蒸籠なら重ねて運ぶことができるから、というものです。
もりそばやざるそばは山のように盛り付けたり、器の形状から重ねて運ぶことができません。
しかし、蒸籠の場合、重ねることができ、また重ねても安定するため、重ねて運びやすいというメリットがあります。
3.『料金設定から』説
三つ目の説は、蕎麦の値上げのために蒸籠に入れて出したというものです。
諸説ある中でも、この説が有力かなと思います。
当初、蕎麦は庶民の食べ物として安価に提供されていました。
しかし蕎麦の人気が加速してきたこともあり、蕎麦屋が値上げをしたいと幕府に申し出たところ・・・
江戸幕府からは、値上げはダメだと言われてしまいます。
しかし、単純な値上げはNGでも、値段据え置きで量を減らす「実質値上げ」にはOKの判断が下ります。
現代の食品値上げと同じ方式ですね。
しかし、今まで通りの提供の仕方では量が減ったのが目に見えてしまう。
ということで考えられたのが、「蒸籠に入れる」という方法です。
蒸籠の場合、底が高いため量を減らしても見栄えは変わりませんからね。
しかし従来と同じ「もりそば」と呼ぶと、量が減ったことに気づいた客からクレームが入るかもしれない。
ということで、「せいろそば」という別の名前で売り出すことになったというわけです。
まとめ
各種そばの違いは、現代では、海苔が乗るか否かと、器の違いくらいしかありません。
そば店で質問してみた時も「器が違うぐらいです」と店員さんに言われた記憶があります。
雰囲気を楽しむために、たまに違うそばを頼んでみるのも面白いかも知れませんね。