かつてテレビで人気となった中華料理人の周富徳さん。
面白いキャラクターと料理の技の数々で私たちを魅了してくれました。
そんな周富徳さんはどんな人だったのでしょうか。
彼のプロフィールや家族、店の情報を調べてみました。
すると伝説だと語り継がれるエピソードも出てきましたよ!
早速みてみましょう。
周富徳のプロフィール
まず周富徳さんのプロフィールを紹介します。
- 名前:周富徳(しゅうとみとく)
- 生年月日:1943年3月11日
- 忌日:2014年4月8日
- 出身:神奈川県横浜市中区の横浜中華街
- 通称:炎の料理人
- 著書:「周富徳の中華人生相談」「決定版 周富徳 ベスト100中華」など多数
両親が中国広東省出身でした。
横浜中華街で両親が店を開いていたため、周富徳さんは日本生まれです。
在日中国人二世ではありますが、生まれながらのハマっ子なんですよ。
料理人の父の姿を見て育ち、同じく中華料理人の道へ進むキッカケとなりました。
高校卒業後は新橋「中華飯店」や京王プラザホテル「南園」で修業を積み、「聘珍樓」、赤坂「璃宮」の総料理長も歴任しています。
そして1993年に「広東名菜富徳」のオーナーとして独立されました。
広東料理の料理人として活躍していましたが、2014年に誤嚥性肺炎で亡くなっています。
71歳のときでした。
中華料理といえば周富徳さんと言っていいくらいの人気だったので残念です。
周富徳の兄弟
周富徳さんの家族は両親だけではなく、兄弟や息子まで中華料理人なんですよ。
兄弟は4人です。
- 長男:富新
- 次男:富徳
- 三男:富安
- 四男:富輝
兄の周富新さんは料理人ではありませんが、中華料理店のオーナーをするなど、やはり料理に関わる仕事をされているようです。
テレビでよく出ていた周三兄弟とは、富徳、富安、富輝の3人のことです。
弟2人は今でも料理人として活躍しています。
周富安さんの情報があまりなかったのですが、仙台で人気の周香港飯店という店をしているようです。
(周富徳さんの弟子がしているという情報もあり定かではありません。)
店内には周富徳さんの写真が飾られていたり、ランチタイムには行列ができるほどの人気ぶりだったりするので、美味しい中華料理の繁盛店であることは間違いありません。
周兄弟の上3人が実家の店である「生香園(せいこうえん)」を継ぎませんでした。
そのため四男の周富輝さんが父のあとを継いで生香園のオーナーになっています。
生香園には本館と新館の2店舗があります。
どちらも横浜の馬車道通り沿いに店を構えています。
かなり目立ちたがりな性分なのか、兄の富徳の影響で料理番組などにも出演するようになりました。
周富徳の息子
周富徳さんの息子は周志鴻(しゅうしこう)さんです。
父である周富徳さんの背中を見て育ったからか、やはり料理人になっています。
しかし、しっかりと大学まで卒業してから料理人の道を志したようです。
周富徳さんの店で修業を積みましたが、他にも弟子が多数おり、息子にだけ特別な指導をするわけにもいかなかったようですね。
始めは雑用係からのスタートで、父のもとでの修行は楽ではありませんでした。
親子であり師弟関係でもあるため、お互いに悩むこともあったでしょう。
現在は周富徳さんの店で唯一残っている「広東名菜富徳」にてオーナーをしています。
周富徳の嫁
周富徳さんの奥さんは周節子さんです。
まだ恋人同士だった頃、富徳さんが節子さんの手帳に「富徳とデート」と無理やり書き込んだというエピソードが残されています。
そこまでしてデートをしたかったんでしょうね。
奥さんからしたら、ちょっと強引だったかもしれませんね。
周富徳の店情報
周富徳さんの現在営業している店は広東名菜富徳(かんとんめいさいとみとく)です。
東京の青山に店があります。
以前は埼玉や千葉にもありましたが今は閉店しています。
そのため、周富徳さん本来の味を楽しむなら広東名菜富徳へ足を運ぶしかありません。
現在は息子の周志鴻さんが店を任されています。
家族や仲間と中華料理店を楽しんでもらいたいという想いからリーズナブルな価格になっています。
ランチは1,080円から本格中華を楽しむことができます。
メニューは中華の王道といえるものからコース料理まで幅広く用意されています。
どれも美味しいと評判ですので、一度は訪れてみたいものですね。
参考
周富徳の弟子の店情報
周富徳さんには弟子がたくさんいましたが、どれくらいいたのかは定かではありません。
きっと日本全国にお弟子さんの店が数多くあるはずですが、今回はその中でいくつかピックアップしてみました。
火龍園(ふぁんろんゆぇん)
火龍園は唐朱興さんがオーナーシェフをしているお店です。
東京ミッドタウン内と世田谷に店を構えています。
広東名菜翡翠軒(かんとんめいさいひすいけん)
広東名菜翡翠軒は群馬県太田市にあります。
この近辺で本格中華を食べたくなったらこの店と言っていいほどです。
広東名菜好好 (はおはお)
広東名菜好好は栃木県小山市にあります。
おしゃれな中華料理屋ではありませんが、味は美味しく手軽に行けるお店です。
鶏ざ(とりざ)
鶏ざは大阪府大阪市にある焼き鳥屋です。
焼き鳥屋なのに弟子がやっている店なだけあって中華メニューが美味しいです。
気軽に飲みながら楽しめそうです。
麺屋 神風(めんやしんぷう)
麺屋 神風は愛知県名古屋市にあるラーメン屋です。
店内には有名人のサインも多数飾られているとか。
お酒を飲み歩いたあとのシメのラーメンにぴったりだそうですよ。
周富徳の残された伝説の数々
周富徳さんが生前に残された伝説は数多くあります。
一時は人気者となりメディア出演にひっぱりだごだったゆえに、いろいろなエピソードがあります。
料理の鉄人で道場六三郎が初めて負けた対戦相手は周富徳
それまで道場六三郎さんは対決で負けたことはありませんでした。
初めて負けたのは周富徳さんとの「豚対決」です。
実はこのとき道場六三郎VS周富徳の対決は2回目だったのです。
1回目の対戦で道場六三郎さんが勝利し、周富徳さんにとってはリベンジとなる回でした。
周さんからしたら絶対に負けられない戦いだったのでしょうね。
周富徳さんが料理の鉄人に出演したときは既に中華料理人としての立場を確立されていました。
それ以前にNHKの「今日の料理」やテリー伊藤演出の「浅草橋ヤング洋品店」で話題となっていました。
鉄人との対決ではまじめに中華鍋を振っていますが、しゃべりが面白いことでバラエティー番組にも多数出演しています。
中華の鉄人は周富徳だと勘違いも生まれている?!
中華の鉄人は陳建一さんただ1人だけです。
番組が始まった当初から終了するまで、誰にも交代することはありませんでした。
しかし、周富徳さんの当時のメディア出演が多かったことと「料理の鉄人」も人気番組の1つだったこともあり、中華の鉄人であると勘違いしている人もいるようです。
周富徳さんは挑戦者として「料理の鉄人」に出演しただけで鉄人ではありません。
個人的には中華の鉄人を周富徳さんに交代しても良かったのでは?と思いますが、お互いに中華の料理人ですから、ライバル視していたのかもしれません。
言われてみれば共演している姿も観たことがない気もします・・・
もし陳建一VS周富徳の対決があったとしたら、きっと勝敗がつかないくらいのバトルになっていたことでしょう。
エビマヨを改良し日本に広めたのは周富徳
エビマヨは本場の中華料理ではなく、日本オリジナルの料理なんです。
周富徳さんがアメリカのロサンゼルスで中華料理の食事をしたとき、エビをマヨネーズで味付けした料理がまずかったそう。
それを日本に持ち帰り、日本人の口にも合うように改良を重ねて広めていったのは周富徳さんだったのです。
テレビでも紹介されたこともあって、「エビマヨ」という料理が一気に浸透していきました。
周富徳さんがいなかったら、おいしいエビマヨを食べることができなかったかもしれませんね。
料理人の半生がドラマ化
1995年にはフジテレビ系列で「炎の料理人・周富徳物語」としてドラマ化されています。
主人公は堂本光一さん。
2時間の特別ドラマだったようですが、それほど周富徳さんに注目が集まっていたといえますね。
数々のスキャンダルで世間を騒がせたことも・・・
1990年代後半には週刊誌でセクハラ疑惑が報じられることもありました。
無類の女好きでロケ現場に女の子を連れてくることもあったとか。
ワイドショーの取材班に追いかけられたときに、蹴るような仕草をしたことで余計に批判を浴びてしまうこともあったようです。
もはや周富徳さんは1人の料理人ではなく、タレント化してしまっていたのかもしれませんね。
2001年には法人税約4,700万円を脱税したことで懲役1年、執行猶予3年、罰金1,000万円の判決を受けてしまいました。
この事件をきっかけにしてメディアへの露出が一気に減りました。
晩年のテレビ出演が少なかったのはこのためですね。
まとめ
周富徳さんの当時の人気ぶりがうかがえますね。
その面白いキャラクターゆえに騒がれてしまうこともありましたが、もともとは中華料理人であることは間違いありません。
今はもう彼の作った料理を直接食べることができないのは残念です。
兄弟たちや息子、そして弟子たちの料理で周富徳さんの味を楽しんでみてくださいね。