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「料理の鉄人」歴代鉄人一覧総まとめ|勝率と戦績が意外な結果に!?

かつて人気を博したフジテレビ系バラエティ番組の「料理の鉄人」。

放送期間は1993~1999年まで。

その人気のため2002年には特別番組として1度復活を果たしました。

鉄人と挑戦者の料理対決が面白く、毎週楽しみにして観ていたのをよく覚えています。

料理の鉄人では、どんな鉄人たちが活躍していたのでしょうか。

歴代の鉄人たちを一覧にしてまとめてみたら大物揃いでした!!

 

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中華の鉄人:陳建一

陳建一さんは番組開始当初から最終回まで、誰にも中華の鉄人の座を譲ることなく出演した唯一の鉄人です。

ですので、中華の鉄人は陳建一さん以外にはいません。

当然ながら全ての鉄人の中で最多出演回数を記録しています。

  • 鉄人をしていた期間:1993年~2002年
  • 対戦成績:94戦68勝23敗3分
  • 連勝記録:17
  • 勝率:72.3%

番組が始まったばかりの頃は陳建一さんが最年少の鉄人で、挑戦者に負けることが多くありました。

番組的に鉄人ばかりが勝っても面白くないから、あえて陳建一さんが呼ばれることもあったようですよ。

そして女性の挑戦者には少々危なっかしい試合をして負けることもあったとか。

 

しかし時とともに経験値を上げて、1996年には17連勝を記録しました。

これが番組の最長連勝記録となっています。

はじめは負けキャラだったけれど、叩かれた結果、17連勝も記録できる強い鉄人になっていったのですね。

 

初代フレンチの鉄人:石鍋豊

第1回目の放送で登場した鉄人です。

食材への独創的なアプローチが有名で「フランス料理界のヴィスコンティ」と称されていました。

(どういう意味だろう・・・(笑))

  • 鉄人をしていた期間:1993年10月~1994年1月
  • 対戦成績:8戦7勝1敗
  • 連勝記録:4
  • 勝率:87.5%

鉄人でいた期間は1993年10月~1994年1月まで。

なんとたった3ヶ月しか鉄人ではありませんでした。

正直、印象は薄いですよね。

当時はオーナーシェフとして皇室御用達になったこともあり、かなり多忙だったようです。

そのため5回の対戦のみであっさりと引退し、その後は番組初の名誉鉄人に就任しています。

自身のお店と鉄人の両立は難しいと分かっていて、はじめから3か月だけのつもりで鉄人を引き受けたとのことなので仕方ありませんね。

 

対戦成績は8戦7勝1敗。

連勝記録4で、石鍋豊さんが参加した対決では1回しか負けたことがありません。

名誉鉄人になってから挑戦者からの指名で3回復帰して、そこでも勝利を収めています。

ほとんどが勝った記録だけなので通算勝率87.5%という、ものすごい記録を残しました。

そもそも対戦数が少ないというのもありますが、この記録は全鉄人の中で最高記録となっています。

さすが皇室御用達の料理人と言える結果ですね!

 

二代目フレンチの鉄人:坂井宏行

あっという間に石鍋豊さんが名誉鉄人になってしまったので、その後任でフレンチの鉄人になったのが坂井宏行さんです。

番組では「フランス料理界のドラクロワ」と呼ばれていました。

フレンチシェフなのにフランスでは修業をしていないことで有名です。

  • 鉄人をしていた期間:1994年~2002年
  • 対戦成績:87戦70勝16敗1分
  • 連勝記録:9
  • 勝率:80.4%

2代目フレンチの鉄人になってから最終回までの長い期間、鉄人として番組を支えてきた1人となりました。

魚介類での対決ではかなり強く、「フィッシュ坂井」とも呼ばれていました。

ところがフレンチの定番食材であるオマールで3連敗して「負け犬のオマール」と審査員から皮肉を言われてしまったエピソードも残されています。

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初代和の鉄人:道場六三郎

「日本料理界の異端児」と呼ばれ、番組公認の最強の鉄人です。

  • 鉄人をしていた期間:1993年~1996年
  • 対戦成績:39戦33勝5敗1分
  • 連勝記録:11
  • 勝率:84.6%

対戦数が多いにもかかわらず通算勝率は84.6%を記録しました。

引退した後は石鍋豊さんと同様に名誉鉄人の座に就いています。

 

道場六三郎さんは対決中に必ず筆でお品書きを書く丁寧さが評判でした。

そしてルールでは1種類の出汁なら持ち込み可能になっているのに、対戦開始してから作りはじめるというこだわりもあったようです。

フォアグラやチーズなどの和食とは関係のない食材をテーマにした対決でも、柔軟な発想で和のアレンジを加えながら連勝を重ねていきました。

道場六三郎さんのジャンルにとらわれない料理の技の数々は、他の鉄人たちのハードルを上げることにもなりました。

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二代目和の鉄人:中村孝明

中村孝明さんは、鉄人になったときオーナーシェフの立場ではありませんでした。

これは鉄人の中でただ1人だけです。

当時は「なだ万」理事・料理本部長という立場で、全体を統括する総料理長でした。

 

番組では「料理界の諸葛孔明」と呼ばれていました。

前任の道場六三郎さんが圧倒的に強かったために、比較されて悩んだことが多かったようです。

中村孝明さんの料理は豪華に金粉をふりかけて盛り付けをすることで有名ですが、それが審査員からしたら下品だと厳しい評価が下されることがありました。

そしてテーマ食材で困ったときには何でも寿司にして握ってしまうのが定番で、これもまた審査員から皮肉を言われる原因となってしまいました。

  • 鉄人をしていた期間:1996年~1998年
  • 対戦成績:37戦24勝11敗1分1無効試合
  • 連勝記録:7
  • 勝率:64.8%

審査員の評価が辛口だったためか、少々勝率は低めです。

1998年に名誉鉄人となり、番組から引退されました。

 

三代目和の鉄人:森本正治

「ニューヨークからやって来た鉄人」として番組に登場し、「料理界の織田信長」と称されました。

ニューヨークで修業した独創的な和食が得意で、これまでの和食のスタイルに留まらない異端の鉄人として話題となりました。

  • 鉄人をしていた期間:1998年~2002年
  • 対戦成績:26戦17勝8敗1分
  • 連勝記録:4
  • 勝率:65.3%

番組放送期間のだいぶ後半になった1998年~2002年の登場だったので、他の鉄人と比べて対決数もそこまで多くありません。

和食の枠をはみ出してしまうことで負けることもあったようですね。

森本正治さんは2005年からアメリカで放送された「アイアン・シェフ・アメリカ」でも和の鉄人となっています。

 

イタリアンの鉄人:神戸勝彦

新たなジャンルのイタリアンの鉄人として登場しました。

「パスタのプリンス」と呼ばれ、鉄人になったときは唯一の20代でした。

これは全鉄人の中で最年少での起用です。

対戦開始と同時に食材が置かれている主宰席に猛ダッシュすることで注目を集めました。

学生時代のときに陸上部だったので走るのが得意だったようです。

  • 鉄人をしていた期間:1997年~2002年
  • 対戦成績:23戦15勝7敗1分
  • 連勝記録:5
  • 勝率:65.2%

残念ながらデビュー戦が黒星となった鉄人は神戸勝彦さん1人だけでした。

 

また、悲しい事実ですが、2019年3月、49歳の若さで帰らぬ人となってしまいました。

転落事故によるものということです。

ご冥福をお祈り申し上げます。

 

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まとめ

歴代の料理の鉄人7人についてまとめてきました。

どの人も料理人として有名な人たちばかりですね。

思い出してみると、よく番組に出ていた周富徳さんや神田川俊郎さんは鉄人ではないことに驚きました。

あまりにも番組に出ているイメージが強いので、てっきり鉄人だとばかり記憶していました。

「料理の鉄人」が最終回を迎えてからしばらく経ちますが、また鉄人たちの対戦を見てみたいものですね。



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