あの有名な立ち食いそばチェーン富士そば。
飲食店のブラック化がニュースでも多く取り上げられる中で、富士そばは超ホワイト企業と言われています。
アルバイトでもボーナスや退職金がもらえて、有給休暇まで取れるらしいのです。
時給はどの店も1,100円以上で休憩時間も時給発生、交通費も全額支給。
驚くほど、すごい高待遇ですよね。
どうしてこんなにホワイトな経営ができるのでしょうか。
その秘密を探ってみました。
富士そばの社長は誰?
富士そばの現社長は丹有樹(たんゆうき)さんです。
富士そばといえば創業者の丹道夫(たんみちお)さんを思い浮かべる人も多いのではないでしょうか。
道夫さんの長男が有樹さんです。
丹道夫さんが80歳になったのをきっかけに、ダイタンホールディングスの社長を息子である丹有樹さんに譲っています。
社長を退いたあとは会長として現役で活躍されています。
丹道夫の経歴と富士そばの歴史
それでは大規模チェーンとなっている富士そばの秘密を探るために、会長である丹道夫さんの経歴をみていきましょう。
丹道夫プロフィール
- 生年月日:1935年12月15日
- 年齢:83歳(2019年9月現在)
- 出身:愛媛県新居郡大保木村(現在の愛媛県西条市)
- 家族構成:妻と子供2人の4人家族(息子と娘1人ずつ)
83歳となった現在でも、現役で仕事されているというのはすごいですね。
若い世代も負けていられません。
富士そばができるまでの丹道夫の経歴
西条高等学校農業科をわずか1学期で中退した後は、27歳までは愛媛県西条市と東京を行ったり来たりしていました。
福島県にいた時期もあります。
その間にしていた仕事は、
- 八百屋で年季奉公
- ガソリンスタンドに転職。1年3か月で退職
- 上京し着物問屋の面接を受けるが落ちてしまい帰郷
- 地元大保木村で三輪自動車の運転手(このとき15歳)
- 2度目の上京し大宮へ行くはずが、なぜか福島県へ。炭坑夫をしながら福島県立湯本高校夜間部に通う(19歳)
- 東京に戻り印刷会社に就職 南京虫(トコジラミ)にくわれて歩行困難になり帰郷を余儀なくされる
- 愛媛県立西条高等学校定時制に転入し、新聞配達やエプロン・肌着などの行商をする
- 3度目の上京で世田谷栄養学校入学(21歳)
- 世田谷の大病院に栄養士として勤務
- 料理学校の生徒勧誘の仕事が軌道に乗るが義父の死去の知らせで帰郷(27歳)
- 西条料理教室を開講したものの、すぐ行き詰まる
こう見てみると若くしてかなり波乱万丈な人生を送っていたことがわかります。
たくさんの業種の仕事を経験し苦労することで、のちの富士そばの経営にも活かされることになります。
そして、4度目の上京で転機を迎えます。
- 弁当屋で調理の仕事に就く
- 埼玉県蕨市に工場向け弁当屋として、わずか4.5坪の東栄給食センターを開業
- 1964年不動産の共同経営を始める
- 大型バーやゴーゴークラブを手掛ける(29歳)
- 1966年渋谷にそば清出店
- 1967年24時間営業開始
- 1972年共同経営から独立。ダイタンフード株式会社を設立し、そば清を「名代富士そば」に屋号変更
- 2000年代後半そばチェーン日本一
東栄給食センターも今までの苦悩から比べたら大当たりしたほうだったそうです。
しかしそれも辞めて、当時ブームとなっていた不動産業に乗り出しました。
一時は倒産危機もありましたが、別荘地が売れ出してからはあっという間に会社は急成長していきます。
大型バーを手掛けていたときは、1日で1億円以上を売り上げていたこともあったとか!
その後、共同経営者との相違もあり、独立することに。
事業の1つであったそば清へ経営を集中させることで、今の富士そばに繋がっていきます。
現在の富士そばの店舗数は?
超大型チェーンとなった富士そば、現在どれくらいの店舗数があるのでしょうか。
- 東京23区内:98店舗
- 東京23区外:11店舗
- 埼玉県:8店舗
- 神奈川県:8店舗
- 千葉県:6店舗
合計131店舗です。
海外にも進出されているそうですよ。
富士そばは東京都内の各駅前にお店があるイメージが強いですよね。
都内に集中して店舗を出す戦略というのがよくわかります。
現在、丹道夫さんは会長をされているとはいえ、富士そばの数多くの店舗を出店して成功させてきたというのは本当にすごいことです。
富士そばの丹道夫の気になる年収は?
ここまで大きな会社の会長ともなれば、かなり年収を稼いでいるのではないでしょうか。
調べてみると実際の年収は非公開となっており、詳細はわかりませんでした。
では、会社の規模から役員報酬を予測してみましょう。
一般企業なら、資本金2,000万~5,000万円で役員報酬が平均752万円くらいになります。
丹道夫さんが会長を務める「ダイタンフード株式会社」資本金は3,000万円ほどあります。
そうすると丹道夫さんも役員報酬として、それくらいはもらっている可能性がありますね。
通常の役員報酬のほかにも、
- 著書の印税
- 作詞家の印税
- インタビュー/講演会など
の収入がありそうです。
そうすると軽く1,000万~2,000万くらい年収があるのでは?と言われています。
しかし丹道夫さんは「利を得たいなら、独り占めしてはいけない」と言います。
もしかしたら、自分の役員報酬を増やすのではなく、社員やアルバイトの従業員にその分を還元しているのかもしれませんね。
そうでなければ、あれだけ多くの金額を人件費に充てることは難しいのではないでしょうか。
丹道夫の本
これだけの実績を残しているので、著書も出版されています。
- 「富士そば」は、なぜアルバイトにボーナスを出すのか
- らせん階段一代記
- 商いのコツは「儲」という字に隠れている: 富士そば流経営50のコツ
波乱万丈の人生の中で得た経験から学べるものがたくさんありそうです。
ぜひ読んでみてください。
丹道夫は作詞家?!
丹道夫さんは、作詞家としての一面も持っています。
もともと趣味で作詞をされていたそうです。
55歳のときに50店舗を達成したことを機に、六本木の作詞学校に入学します。
1997年には作詞家「丹まさと」としてデビュー!
店内で作詞した曲のCDやカセットテープが買えるそうです。
2006年に、『演歌魂~富士そば編~』というコンピレーションアルバムも発売しています。
丹道夫の名言
丹道夫さんが、人生と経営から得た名言はたくさんあります。
その一部を紹介します。
「儲」を分解してみてください。
「信じる者」と読めます。さらに、「信」のニンベンは「人」です。つまり「儲ける」とは、「人を信じる」ことなのです。~丹道夫~
僕のお母さんは芸者だったの。芸者のくせに商売のことを知ってるかのごとく、「道夫、お金がほしいんだったら独り占めしちゃダメ。みんなに分配してやりなさい。そうするとそれ以上に入ってくるよ」と教えてくれた。これは、僕はものすごい大事な事だと思うの。~丹道夫~
安月給で働かそうとするから、みんな裏で悪いことをするんです。~丹道夫~
振り返ってみると、ぼくは何もなかったのがよかったんですね。何か技術を持っていたら、その枠から出られないでしょ。何もないから、どうだっていいって、どこへでも行っちゃって、それがラッキーで(笑)。~丹道夫~
数多くの経験をして失敗と成功を繰り返したからこそ生まれた言葉です。
富士そばが成功してきた理由が名言から感じられますね。
まとめ
富士そばの会長、丹道夫さんについて詳しくみてきました。
富士そばがホワイト企業であり続けられる秘密が、丹道夫さんの年収や名言から垣間見れたのではないでしょうか。
若き頃の波乱万丈な経験が、富士そば経営にも反映されているのですね。